2.15.2009

James Bullough Lansing


JBLの創設者のJames Bullough Lansingという人

James Bullough Lansing
1902年1月14日アメリカのイリノイで生まれる。父Henry Martiniは炭鉱技師で、ジェームスが小さい頃は転々とした。14人兄弟の9番目の息子で、小さい頃は、ライデン瓶や近くの局までとどくような強力な鉱石ラジオを作ったりしていた。あまりに強力なため軍隊に没収され分解調査されるほどだったらしい。
その後、自動車技師になるためデトロイトの学校に通った。そして、21歳のときに母がなくなり、故郷に帰り、放送局で技師として働く傍ら、Baldwin Loudspeaker Companyでも働き、後のパートナーのKen Deckerと出会った。
LansingとDeckerはラウドスピーカの製造ビジネスをするためにロスに移った。そのときの会社名はLansing Manufacturing Companyだった。その後、Lansingは後に結婚することになる彼女のGlennaの勧めでJames Bullough Lansingに改名した。
Deckerが1939年に飛行機事故で亡くなったため、経営が一気に悪化し、彼の会社は経営危機に陥った。そして、Altecが1941年に会社を買収し、社名もAltec Lansingとなった。James B. Lansingは技師長として5年契約で働いたあと、1946年にこの会社を去り、Lansing Sound, Incorporatedという新しい会社をつくった。しかし、逆に彼が去った後のAltec Lancingとしてはブランド名にLancingが入っており、そこいらの問題で新しい社名をJames B. Lansing Sound, Incorporatedに変更し、製品ブランド名にこれを省略した、JBLを採用した。
その後も開発エンジニアとしては超一流の彼だったが、経営者としては才能がなく、工場脇のアボガドの木で1949年9月24日に首を吊って死去した。

JRX125。37800yen/1000W。

エンジニア魂に合掌。

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